そう、それは、まだ。






ただ一つ、唯一の







強がっているだけで、本当は誰より臆病なことを知っている。

怖くてたまらないくせに、必死で笑って、俺の隣にいたことを知っている。


コートに立ち尽くしたアイツの指先が、震えていたことを―――――知っている。







   例えばそれが、痛みでしかなくても。






バスから去っていく姿を追ったのは、その震えを止めてやりたかったから。


「忍足」

名を呼ぶと、その両肩が小さく揺れ、数秒置いて俺へと振り返る。


「跡部・・・・・・」


夕陽に照らされ、驚きと共に振り返った忍足の頬には、幾筋もの涙が。
目に痛いほどの赤の光に世界は染められ、その涙すらも、ひどく美しく映り、チリッ・・・・・と胸の底が痛んだのが自分でも分かった。


あぁ。
どれだけの孤独と、どれだけの絶望をお前は今抱えている?
今、何を思っていた?

――――かすかに俺の耳に届いた懺悔の言葉は、誰に、捧げていた?



それを知りたくて、聞きたくて、忍足の元へと数歩歩みを進めた。
・・・・・が、少しの距離を残して、俺がすぐに立ち止まってしまったのは、緩やかに重なった視線に、言葉が喉元から出すことができなかったから。
涙で濡れた瞳に宿っていた色は、不安と、かすかな、拒絶。

俺はお前を苦しめたい訳ではない。
ただ、痛々しいまでの笑顔を浮かべ続けているお前の、指先の小さな震えを静めたいだけなのに。
願うことは空しく、例え今、俺が何を伝えたとしても、忍足の痛みが増長するだけだというのは、たしかな事実だった。
皮肉なことだが、俺が優しい言葉をかけるほどに、傷は増えていくに違いない。

大丈夫、とも、泣けよ、とも、俺には言えない。言う勇気がない。
何より、忍足自身がそんな言葉を望んでいないだろうから・・・・・忍足からの言葉を待つことしかできない。
俺がココにいることすらも忍足の痛みに繋がるのかもしれないと考えると、俺の内側が小さく悲鳴をあげるけれど。


でも、ココから動くことだけは、したくなかった。
例えそれが俺の我侭だったとしても。













俺の視線は、指先を見つめ続けている。
小刻みに、本当に小さく、けれど止まる気配はなく。
きっと必死に抑えて、最小限に震えを留めているのだろう。
泣きながらも尚、コイツはすべてを曝け出すことに怯え、押さえ込むことで理性をどうにか保っている。


俺の前ですら。・・・・俺の前、だから。


俺に見せた次の顔は、



「久しぶりに泣いたわ」



笑顔。

涙はまだ変わらず浮かんでいるのに。

いつも通りに振舞おうとする、その強さと弱さに、先ほど感じた痛みよりも、もっと強い衝撃が心臓に走った。



俺が、ここにいることは、お前にとって、痛みでしかないのか?


拳を静かに握り締めた。


ひどく、どうしようもなく、辛くて。
コイツの笑顔を受け止めることができなくて。
笑い返せるほど、俺はきっと大人じゃなくて。
逃げ出せるほど、子供でもないから。






(忍足・・・・・・)





伝えられる言葉は、ない。
傷つけるだけの言葉しかないのなら、今は。





(言葉は、いらない)





脳が答えを出した途端、体はすぐに行動に移していた。
両足は自然に動き出し、数歩歩みを進めただけで二人の距離はあっという間に縮まり、涙の跡を消そうと頬に触れようとしていた 忍足の左手を無意識に引き寄せ。




(忍足・・・・・・)




気づけば、その体を抱きしめていた。














忍足の心臓の音が、直接伝わってくる。
それは幾分か早い速度で鳴り続け、今の忍足の心境を何より雄弁に語っている気がした。
チラリと見た忍足の指先の震えは、たしかに消えていて。
俺がココにいることは忍足にとって、痛み以外の何かを与えてやることができているという事実が 純粋に嬉しかった。


自惚れても、いいだろうか。


「笑うなよ」


抱きしめる指に力を込める。
途端、腕の中の体はピクリと跳ねた。


「あ・・・・スマ」


違う。そんな言葉が聴きたいのではない。
コイツの頭の中で考えていることが容易に想像できて、それをすぐに払拭させたくて、俺は「バーカ」とわざといつもの口調で言葉の続き を遮った。


「違う。泣きながら、そんな風に俺の前で笑うんじゃねぇよ・・・・・痛ぇだろうが」

「跡部・・・・・・・」


きっと、また涙を零しているだろう。
今俺の目に映るのは、この男の綺麗な黒髪だけだが、雰囲気でそれは分かる。伊達に長い間、コイツをずっと見ていた訳じゃない。
そっとその黒髪に触れる。
いつも遠目からその髪に触れたいと思っていた。
想像していた以上に俺の指先に感じる感触はサラサラと優しく、心地良く。
俺がそう感じているように、忍足も俺の手に少しでも安心感を感じていてくれればいいと願った、瞬間。


「うん・・・・・・・」


忍足の口から洩れた、その一言に、俺の心はたしかに歓喜に沸いた。
でも、その声から、涙が変わらず流れていることが分かり、俺は俺自身が歯痒くてたまらなくなった。
どう足掻いたって、忍足から痛みをなくすことができるのは、忍足本人でしかない。
そう理解していても、傍観していることなんてできるはずもない。少しでも、痛みを軽くしてやりたいのに。

お前を、泣かせたい訳じゃ、ない、のに。

どうして、泣かせることしかできないのか。


「堪忍・・・・・・・」


頼むから、そんな風に。


「あと、俺に謝るな。そんなことしなくていい。」&l t;br>

泣くな、無理して笑うな、繕うな。
どんなに弱いお前でも、俺は否定しないから。
すべてを曝け出せなんて言わない。ただ、もう少しでいい、俺を信じてくれたなら。
信じさせてやる力が、俺にあったなら。


(・・・・・・・・ッ)


俺は自分の腕に感じた感触に、一瞬驚き、体を震わせた。
その反応に驚いたのだろう、忍足の手は一旦動きを止めたが、ゆっくりと俺の背中に回っていく。


あぁ。
そうだ。
そうして。


(・・・少しでも、そうして、俺を信じてくれたなら・・・・・・・)

< BR>
それだけで、嬉しい。
応えるように、俺もまた、抱きしめる腕にそっと力を込めた。













「ごめんな」

「だから、謝んな」

「謝るくらい、させてや」


その言葉に、どれだけの勇気を必要としたのだろうか。
でも、それを痛いほどに理解していても、言葉を受け取ることはできない。


「いらねぇよ」


俺が欲しいのは、そんな言葉ではない。


「いらねぇから、しばらくこうしてようぜ」


俺が欲しいのは、お前だけ。
















小さな風が吹いた。
せめて一人で立ち尽くしていたあの時のような冷たさを感じないように、抱きしめることが今の俺にできる唯一のことなのかもしれない。


「忍足」

「・・・ん?」

「お前は俺の隣にいろ」


忍足は否定も肯定も返さず、俺のジャージを強く握った。
俺は言葉を促すようなことはせず、ただ抱きしめていた。























例え、今は痛みの中でもがいているのだとしても。

その中にあるだろう、それをお前に見つけて欲しいと願いながら。






 END.










「優しくも、残酷なそれに。」の跡部視点です。
短くてすみません。跡部も弱々しくてすみません。
ウチの跡部は強引さが足りない気がとんでもなくしますが、許してやって下さい。
前回次の話で一区切りを・・・・・と言ってましたが、すみません、まだ跡部視点続きます。

お付き合い頂ければ、幸いです。
読んで頂き、ありがとうございました。

2005年9月20日

こっそり微妙に修正 2005年11月29日UP